明治時代の禅僧に釈宗演という方がおられます。宗演老師は三十歳代の若さで鎌倉円覚寺の管長に抜擢された方で、かの夏目漱石も宗演老師に参じています。(漱石はこの体験をもとに 『門』という小説を書いています。)宗演老師は福井県若狭の出身でした。宗演老師の親戚に妙心寺の管長をした釈越渓老師がありましたが、宗演老師はこの越渓老師に、いわばスカウトされて禅門に入るのです。
京都に上った宗演老師が臨済宗はもとより様々な学問を修めるため建仁寺山内の俊崖和尚という方のもとに預けられました。宗演老師が十五歳のときです。当時俊崖和尚を頼って五十名ほどの小僧さん達が集っていたが、俊崖和尚はとても厳しい方で、小僧さん達は常に緊張を強いられました。建仁寺の外は世に名高い祇園先斗町なのですが、そんな艶やかさなど山門の内には微塵もありませんでした。宗演老師は俊崖和尚の身の回りの世話をする役を仰せつかったある日のこと、俊崖和尚が所要で外出することになりました。師匠の外出ぐらい小僧にとって嬉しいことはありません。宗演老師も早速洗濯をすますと、「鬼の居ぬ間の何とか」というやつで、和尚の部屋に通じる広い縁側で大の字になって日向ぼっこです。そうしている内に、余ほど疲れていたのでしょう。ついウトウトと寝入ってしまったのです。しかしふと気付くと何か足音が近づいてきます。紛れも無い俊崖和尚の足音です。「しまった!」と思いましたが、足音はすぐ側まで来ています。宗演少年は衝撃と恐ろしさのあまり身動きも出来ません。遂にそそまま狸寝入りを決め込んでしまいました。「ああ!えらいことになったなぁ…」どんなにこっぴどく叱られるかと思ったとき、鬼のような師匠は「御免なされや。」とって宗演老師を起こすでもなく、大の字に横たわる体をよけて通って行ったというのです。宗演老師、今度は恥ずかしさで体が熱くなったとともに師匠の慈悲の有り難さを心に感じたそうです。また、後に人の師たるものの心掛けの一端を見た述懐されています。
鬼手佛心とは、鬼のように弟子や子供を叱るときでも必ず佛の心を持ちなさいということです。私たち親が、吾が子を叱るとき、ともすれば自らの怒りの感情にまかせて子供に対してしまうことがあります。また昨今耳にする幼児虐待などはまさに「鬼手鬼心」というべきものであります。年長児ともなると子供でも親の心をつぶさに観察してきます。子供を叱るときには、先ず親が自分心をコントロールできるよう気をつけたいものです。
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