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「忍の徳たるや
持戒苦行も及ばざるところ」 |
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この言葉はお釈迦様の最後の説法をまとめたものであると信じられる遺教経という経典の一節です。宗教的な戒律や伝統的な苦行よりも、日常生活の「一忍」が大切なのだという意味です。涅槃会の際も申し上げましたが、お釈迦様の齢八〇の最後の説法の旅は、自分自身の体調との戦いでありました。老齢により体の節々に痛みのあったお釈迦様は、自らの歩みを称して「私の体はあたかも古ぼけた台車が、革ひもの助けを借りて、バラバラにならずにようやく進んでいるようなものだ。」と仰っています。お釈迦様が体の痛みをうったえたり、病気に苦しむ様子は、私達にとって意外な感じがしますが、お釈迦様も肉体的にはごく普通の人間でありますから、病気になったり、疲れたりするのは当たり前のことです。お釈迦様が伝統的な修行よりも、日常生活の苦難を粛々と乗り越えることに価値を認めたのは、このように、釈迦様自身も、私達が体験するような、肉体の苦痛や人間関係の苦痛など、様々な苦難を経験されたからに違いありません。
百年に一度と言われる不景気の中、家庭を維持し、子育てをすることは大変な苦労です。私も寺院や幼稚園の運営の上で、世の不景気を実感させられることが多々あります。しかし、先の時代や他の人を羨んでばかりでは、物事は何も解決しません。出来ることを粛々と「忍」をもって行じようではありませんか。そうすれば如何なるところにも喜びや楽しみを見出せる筈です。 |
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