お釈迦様は太子という地位を捨て、修行者となられてからは、常に粗末な最低限の衣服を身に着けておられました。どんなものをお召しになっていたのかというと糞掃衣(ふんぞうえ)と呼ばれるもので、死者の不要となった衣服や、ゴミ捨て場にあったぼろきれを綴り合わせてお使いになっていたとされます。糞掃衣の糞掃とはインドの言葉のパンスクーラのパンスを音写(中国には仮名がありませんので、似た発音の感じで外国語の発音を表します。時には意味もふまえて漢字をあてることがあります。)したものですが、まさに粗末なぼろきれをイメージさせる素晴らしい訳と言えるようです。
さて、ぼろきれを縫い合わせて作った衣をお召しだったお釈迦様ですが、このぼろきれが更にぼろになると、今度はこれを適当に裁って雑巾にされたそうです。ものを大事にされたのですねぇ。お釈迦様は。ところが、お釈迦様のリデュースはこれで終わりではありません。雑巾としても利用できない程、布がぼろぼろになると、最後には粘土に混ぜて壁の補強材にしたと言いますから、徹底しています。
リユース。リデュース。リサイクル。リユースは同じ用途でものを使うこと。リデュースは違う用途でものを活かすこと。リサイクルはものを資源として活用する事。スリーRと呼ばれる観念ですが、お釈迦様はまさに、この先駆者です。
私はというと、ものが処分出来ずに「いつか使うだろう!」という品々に囲まれて生涯を送りそうな感じ?であります。これじゃ、ものが死んでいますよねぇ。自戒しましょう。
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