七月十五日は、塩釜中央幼稚園を創立した前園長精道和尚の命日でした。前園長が亡くなってから既に十三年。前園長を知る職員も少なくなりました。本年は休日となった十五日に先立ち、七月十三日に本堂で朝礼を行い園児の皆さんの延命十句観音経をお勤めしてもらいました。前園長にとってはこれに優る供養はないでしょう。
前園長は昭和四十二年一月の東園寺十六世秀峰和尚の遷化(せんげ)(僧侶の死去のこと)に伴い東園寺住職に就任すると、秀峰和尚の念願でもあった幼稚園設立に着手、その年の秋に宮城県より設置認可を受け、昭和四十三年には第一期生が入園しています。精道和尚は青年時代に心血を傾けた仏教青年会の活動や、仙台の聖和学園高等学校での教員生活を通じて得た経験を活かし、佛教精神を根幹とする保育活動を行う一方、市内の幼稚園では初めてバス送迎を行うなど、時代に即応した園の運営を実施しました。
さて前園長が幼稚園の根幹とした佛教精神とは如何なるものでしょう?日本国内に多数の宗派が林立するように一口に佛教といってもその教えは多岐にわたります。その中で前園長がもっとも重視し園児の皆さんに説いてきたのは、佛教の基本である諸悪莫作衆善奉行(しょあくまくさしゅぜんぶぎょう)(悪事をなさず善いことを行いなさい)ということです。中央幼稚園の卒園児という立場で私自身の幼稚園時代の「園長先生のお話」を思い出して見ると、「沢山の生き物が描かれた大きな涅槃図」「何度倒れても起き上がる達磨さん」など、何かしら特別な行事で説かれたものが印象に残っているのですが、その中で最も印象深いのが、以前は夜に行われていた盆踊りの際に聞いた目連尊者の母が餓鬼道に落ちた話であります。(今回の東園寺会報でこのお話にふれていますのでご覧下さい。)今思えば前園長の餓鬼道の描写は秀逸で、鬼気迫る様子で目連尊者の母の苦しみを演じ、ちょうちん明かりでぼんやり映し出される寺の境内は、演出的にも怖い話にはぴったりで、幼稚園児の私は良いことをしないとこんなひどい目に遭うのかと心底恐ろしく思ったものです。
現在は園長として園児の皆さんに話す立場になっていますが、佛教には面白い話が沢山ありますし、ネタにはさほど困らないのですが、私には前園長ほどの演技力はありませんので、園児の皆さんを震え上がらせるような話というのはかなりの修練を要しそうですが…。ともかく前園長が残してくれた塩釜中央幼稚園という場で、園児の皆さんと教職員がともに研鑽を深められるように精進致したいと思います。
一学期も終りとなりました。本年は新しい教諭が多くに保護者の方々にはご心配もあったかと存じます。二学期には園の一年間を代表する大きな行事が控えていますが、教職員一同一丸となって保育に取り組む所存でございますので、何卒ご理解ご協力宜しくお願い致します。
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