保護者各位におかれましては愈々御清栄の事と存じます。先日は前園長17回忌に際し、午前保育にご協力頂き誠に有難うござました。本園は昭和42年に宮城県知事より認可を頂戴し、翌年4月より第1期生を受け入れました。先住和尚の東園寺住職就任が昭和42年ですので、先々住職の急逝により住職となったということを考えると驚嘆すべき早業で開園を迎えていることが実感出来ます。精道和尚は住職就任前に仙台の聖和学園高等学校で教鞭を執っており、教育に仏教を取り入れる事の大切さを痛感し、先々住職の念願でもあった幼稚園の設立を住職就任初の仕事として実行したのです。開園43年後の今日、寺の境内という最も和風な空間の中で保育を行うということは、今日の社会の混乱を見る時、開園当初以上に意義のあるものであると感じます。
さて、前園長は満66歳で亡くなっていますが、亡くなる前の4年半程は癌という病気を通して自分の命と向き合う日々でありました。この間に聖和学園高等学校の校長も3年間勤め、楽しい時も持てたようでありますが、亡くなる前の1年間は、本人の希望で主に在宅で療養していました。現在は末期の癌治療の考え方も変わってきており、死を迎える患者の苦痛を最大限取り除く為の身体はもちろん心のケアも進んでいるようですが、当時、在宅で末期癌を看護するという珍しく、たまたま主治医の先生と前園長が懇意だったからこそ可能だったものでした。ところが、病状を告知しても病気の回復を信じる前園長は処方されたモルヒネを服用しませんでした。痛みが強くなった時の苦しみ方は尋常なものではありません。負けず嫌いな人でしたから、モルヒネの服用=命をあきらめることと思っていたようです。そんなときに前園長の心身を癒したのは、他でも無い信心でありました。本堂へ行くと痛みが和らぐと言うのです。人間は本当に苦しい時にその人間の本質が現れると言いますが、前園長の本来の面目というものはまさにここにあったのだと思います。
なにやら悲惨な体験を申し上げましたが、基本的に前園長は明るい人でしたから、闘病期間中もよく周りの者を笑わせてくれました。闘病中のある日、私が自室に居りますと、前園長が苦しそうに私の部屋に倒れ込みます。私が驚いて近付くと、スッと立ち上がり、「こんな汚い部屋では死ねない!」と言って何食わぬ顔で部屋を出て行く…。なんてことは日常茶飯事。こういうことに家族は救われましたねぇ。今想えば亡くなる前の1年間は本当に有り難い命の勉強をさせて頂きました。
創立記念日という題を付けておきながら父子の思い出を思うままに記してしまいました。ご寛恕下さい。長い夏休み、お出掛けの際にはくれぐれもご注意ください。
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