お釈迦様がまだシッダルタ王子と呼ばれていた頃のことです。お釈迦様は従兄弟デーバダッタが狩りをしているところに出くわしました。見事、鳩を打ち落としたデーバダッタ!そして、打ち落とされた鳩はシッダルタ王子の足元に。シッダルタ王子は可哀相な鳩を抱き上げ、矢を抜いてあげようとすると、もともとシッダルタ王子とは相性が悪かったダイバダッタが言い放ちました。
「王子!その鳩は私が打ち落としたのです。ですから、私のものです。さあ王子、その鳩を私に渡して下さい。王子であっても私のものを奪うことは出来ません。」
すると、シッダルタ王子は答えました。「確かに君はこの鳩を打ち落とした。しかし、この鳩はまだ生きている。生きているのだから、この鳩は誰のものでも無い。鳩自身のものだ!だから、私はこの鳩を君に渡すわけにはいかないのだ!」
これは、とても奥深い問答だと思います。確かに動物であっても、生きている間はその身体は動物のものなのですね。
刀杖をおそれ
生命ながらうこと
これすべてのひとの
のぞむところなり
されば おのれを
よきためしとなして
ひとを害い はた
そこなわしむるなかれ (法句経130)
これはお釈迦さまの肉声を伝える経典として知られる法句経の言葉です。自分の命が惜しいように、皆、命が惜しいのだから、人を傷つけてはいけないし、自分を傷つけさせてもいけないと言うのです。他人に自分を傷つけさせるなというのは興味深い言葉です。
このような平和な心が子供達の心に育まれます事を念願します。
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