僧といえば坊さんのこと。または修行者を思い浮かべるかもしれません。また、僧という言葉はキリスト教の修道者にも用いられますが、もともとは中国に仏教が伝わったときに、サンガというインドの言葉を表現する為に作られた文字のようです。
サンガというインドの言葉は「衆」「和合衆」とも訳され、5人以上の修行者が集まり修行する団体という意味です。また、古くは共和国という意味も有していたとのこと。中国や日本では1人であっても僧侶と呼びますが、元来は5名以上の団体でないと僧とは言えないのです。
余談ですが、托鉢という行がありますか、これも3名以上でなければ行ってはいけないことになっています。ですから仙台市内などにいる1人で立っている托鉢僧は???ですね。
さて、何れにしても修行はある程度の人数で共に行うというのが基本のようです。それでは何故、お釈迦様は小さなグループを形成して修行をすることを勧めたのでしょうか?
複数の人が共同生活を営む為には規律が生まれ、それぞれの自我を制することが求められます。また、切磋琢磨することにより、互いに高いレベルの修行が行えるということをお釈迦様は期待されたのでしょう。
臨済宗の修行は、坐禅、禅問答、読経、さらには作務とよばれる肉体労働など多岐にわたりますが、接心と呼ばれる1週間集中的に坐禅をする行などは、なかなか独りで行うのは困難であります。やはり、仲間たちと励まし合うことによって、私のような凡庸な人間でも取り組むことが出来るのです。
子供の可能性は無限大。与えられた命、多くの生命に支えられている身体を出来得る限り使い生きるのは私たち人間に与えられた任務であると思います。園児の皆さんが、様々な保育活動や行事を通じて、それぞれの可能性を発揮し、健やかに成長されるこ とを期待します。 |