先日、山形のお寺の先住職のご法事に招かれた際に、その寺の歴代住職の遺偈(ゆいげ)を拝見する事が出来ました。遺偈とは禅僧が死ぬ間際に遺す漢詩の事で、準備の良い和尚さんなどは毎年正月にその年の遺偈を作り、胆を据えて1年を過ごすという方も、昔はおられたようです。
私が山形で拝見した二幅の遺偈の掛け軸は、何れも筆跡が乱れ、本当に亡くなる寸前の書である事が伝わるものでした。私が特に感動した千峰という和尚さんの遺偈の内容は次のようなものでした。
53年
飢えては喫し 困じては眠る
末後の一句
吾が禅には当たらず
53才で亡くなった方なのでしょう。五十三年間、お腹が空いては食事し、眠くなったら横になって来た。禅僧は死に至って一言遺すことになっているが、ワシの境涯にはそんなものは無い。
人生を振り返れば、お腹が空いては物を食べ、疲れて眠くなっては就寝する事の繰り返し、食欲と睡眠欲は人間を生き物として見た場合に、もっとも基本的な欲望と言えます。
生きるということだけ考えれば、この欲が満たされれば、充分幸せな人生と言えるのでしょうが、人間というものは、そんな簡単なものではありません。物質欲や名誉欲、様々な生きる上では必須では無い物事に振り回され、支配されるのが、人間の人生というものです。またこの上に文化文明が成立しているのでありますから、この「欲」というものを一概に否定は出来ません。
しかし、人生の重要局面において、「食べる」「寝る」ということが、当たり前に行えている日常を感謝出来る心が有るか無いかで、ずいぶんと危機突破力が異なるのではないでしょうか?
今後、それぞれの夢や目標に向かって進む子供達の心に、生かされている感謝というものが大きければ大きいほど、人一倍努力も出来るのです。
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