昔々の話。私の学生時代のお話。そんなに昔でもないか…。私は京都の花園大学で学ぶ為、本山である妙心寺が運営する花園禅塾という寮で修行をしながら大学に通う日々を送っていました。修行しながら寄宿する寮ですので、道場に準じた生活で、食事も掃除も学生自身が行います。
当時の塾頭は生駒道顕老師という方で、昭和の名僧、山田無文老師の法を継いだ方でした。この方がとてもとても「親切」な方!無論、禅宗でいう「親切」ですよ。
ある時、トイレ当番に当たった私は、またエラい事に塾頭老師の部屋前のトイレを割り当てられて、顔面蒼白…。何しろ、ここのトイレだけは文字通り舐めるように綺麗にしろ!との先輩方の訓戒もあって自分なりに一所懸命、これ以上の無い位に綺麗に掃除させて頂きました。掃除が終わると指導員、そしてこのトイレだけは塾頭老師のチェックが入ります。塾頭さん、本当は明るく愉快な方なのですが、このような時は鬼のように厳しい表情をされています。大まかなところをご覧になった塾頭老師、男子の小便器にある円盤を素手でつかんで裏をご覧になって、さらに険しい表情に。「ここの汚れがよう落ちとらんぞ!」こんなものは汚いと思うから綺麗にならんのだ!と言わんばかりに、ご自分の爪で黄ばんだ円盤の裏側を削るように擦る見事に汚れは無くなります。「千坂君、こうやって全てのトイレを綺麗にしなさい!」ということで、私の目の前に寮の小便器の円盤が二十数個積み上げられ、私は涙目。言われた通り、爪で黄色い汚物を擦りながら、黙々と作業をする私でありましたが、次第に私の爪の方が持たなくなってしまったところで、「千坂君、古い割り箸を使いなさい。」という指示を頂いて、作業を完遂!
当時は好きで入ったわけでも無い寮で何故こんな事をしなくてはいけないのか?と塾頭老師を恨めしくも思ったものですが、今では本当に感謝しています。これはしっかり厳しく指導して下さった塾頭老師の心に慈悲心があったからだと思うのです。
人を叱ることは気力のいる事ですし、出来れば避けて通りたい事でしょう。現代は叱らない親が多いという事も耳にしますが、子供の将来の為にも、そして社会の為にも、叱るべき時にはしっかりと叱る姿勢を持ちたいものです。
怒って自分を忘れてはいけませんよ!「鬼手仏心」です。
長い夏休み、どうぞ園児、保護者の方々ともに体調にお気を付けてお過しください。
|