お釈迦様が仏教を開かれたインド。昔は天竺と呼ばれ、多くの僧侶が憧れを持ち、中には渡航を試みた強者もいたようです。しかし当時は日本からのインドに渡るなどということはほぼ不可能なことでした。明恵上人という方はインド渡航が適わぬことを嘆きつつ、故郷紀州の浜辺で石を拾い上げ、この海辺を洗う水も、もとをたどれば釈迦の聖地天竺の河口から流れたものであろうと、この石にお釈迦様のお姿を見出し、生涯大切になさったそうです。
これに比べ現代はなんとも有難い!成田からわずか10時間程のフライトでニューデリー到着!私は父がインド好きだったこともあり、小学五年生の時に初入竺以来、何度となく彼の地を訪れる機会に恵まれています。インド渡航の目的はお釈迦様の旧跡(仏跡)を巡拝することですが、最近はインド発展のおかげで聖地も綺麗に整備されて来ています。しかし、インドに行って驚くのはホームレスの多さ、街にあふれるゴミ…。明恵上人、インドは手強いですぞ!
もう十年以上前、檀家有志とインドを旅した私はバラナシという街にあるガンジス河沿いのガート(沐浴場)でインド人のガイドに尋ねたことがありました。「このバラナシには世界中から観光客が来るのにどうして街を掃除しないの?」バラナシはヒンズー教の聖地でガンジス河での沐浴風景はよくテレビなどでも見掛ける世界的な観光地。しかし、残念ながら街の至る所にゴミが放置されています。私の質問に対しガイドさんは私にゴミの山をしばらく観察せよとの答え…。するとゴミの山には放し飼いの牛やら野良犬が来て食べ物をあさっています。そして次にはホームレスがやって来て、なにやら焚き物を持っていくではありませんか!ガイドさんは得意げに私を見つめ、「日本人のあなたにはとってはゴミだけれど、彼らにとっては宝の山なのですよ!」と。
まさに般若心経に説かれる「不垢不浄(ふくふじょう)」ですね。我々は世の中を自分の都合で、善悪、キレイ汚いと二つに選別しているわけで、これにより思わぬ間違いを起こしてしまったり、自分の世界を小さくしてしまったりするのです。自分の思い込みを反省し、一度立ち止まって自分を見つめ直すということは人生を幸せに過ごす為のコツかもしれません。それにしてもバラナシの街は掃除すべきだと思いますよ!
お子様の事も自分自身の事も時に冷静に見つめ直す努力と勇気が必要ですね。 |