昔々、シビ王という心優しい王様がいました。ある時、シビ王の部屋に一羽の鳩が鷹に追われて逃げ込んで来ました。シビ王はその鳩を助け、鷹を追い払おうとします。しかし、鷹はシビ王に言います。
「心優しき大王よ!その鳩を私に渡してください。私は巣で待つ子供たちの為にその鳩の肉が必要なのです。何故、鳩の命は助け、私たちの命はないがしろにするのです?」
シビ王は答えます。
「鷹よ、君の言うことはもっともな事だ。しかし、この鳩の命を君に差し出すことは出来ない。この鳩は私を頼ってこの部屋に逃げ込んで来たのだから・・・。どうだろう、この鳩の重さと同じだけの肉を君に差し上げることにしよう!」
鷹は怪訝な顔で答えます。
「大王よ!私と私の子供たちは新鮮な肉しか口にいたしません。まさに寸前まで命のあった肉しか食さないのです。」
「よかろう!君に私の体の肉をやろう!」
シビ王は意を決し、天秤を家来に持たせ片方とし、あるいは尻の肉を切って天秤に載せます。しかし、とっくに鳩の重さを上回る肉を載せようとも天秤は釣り合いません。事を悟ったシビ王が天秤に乗ったとき、やっと天秤は釣り合いが取れたのです。人の命も鳩の命もその重さに変わりはなかったのです。
子供にはとても話せない凄惨な内容ですが、仏教が命を如何に考えるかをよく伝える本生経の一節です。すべての命を平等に大切にする仏教。しかし、それを徹底することは並大抵ではありません。本来は同等の命をたくさん食して命を長らえている私たち・・・。日々を大切に、充実した時間を過ごさなくては、私たちが食した命に対して二重の殺生を犯したことになるのです。
夏休み中にはお盆、そして終戦の日があります。先祖累代受け継がれてきた命の重さを是非ご家族で話し合ってみてください。
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