「童心祖心に通ず」子供の心こそはお釈迦様や達磨様の智慧であるという意味の語句です。
子供、殊に産まれたての赤ちゃんの心は仏の智慧そのもの!赤ちゃんのように、ただ無心に笑い、無心に泣き、無心にお乳を飲み、無心に寝るということは、大人には出来ることではありません。我々大人の心は過去にこだわり、ものごとの本質とは無関係なところに引っかかり、まるでよどんだ川のようでは?
仏教でいう智慧とは、知識や経験を積み重ねによって築かれる一般的な知恵とは対極にあるものです。むしろそのような構築された概念を取っ払ったところに仏の智慧は現れます。もちろん、私たちが社会生活を営む上で知識や概念は必要不可欠です。しかし、それに束縛され、がんじがらめになることで多くのストレスや苦しみが生じるものです。
私たちが赤子の姿に心癒されるのは、赤子はこの無心の智慧に満たされているからに他なりません。そしてまだまだ赤子に近い園児達にも同様の無心の働きを感じます。今月号には年長児の将来の夢が掲載されています。最近はアニメや特撮ヒーローになるという無心そのものの夢は少なくなりましたが、それでも希望あふれる将来像に接するとき、我々のよどんだ心も洗い流される気がします。
余談ですがアップル社の創始者である故スティーブジョブズ氏は禅の信者であったことが知られます。彼が行った有料音楽配信サービスは、物質的なCDジャケットやケース、CDそのものを超えて物の本質を売るシステムですね。この流通のシステムが彼のみのアイディアに起因するとは思いませんが、この営みは非常に禅的!やはり無心の智慧には働きがあるのです。
かく言う私は断然CD派ではありますが…。
園長 千坂成也
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