たった今、年長組最後の坐禅会が終わりました。園児の坐禅会は半ば我慢大会のようなものですが、20分弱の時間、殆ど動かず静かに坐っている園児も少なく無い事に接すると、各ご家庭での躾の成果ではあるのですが、幼稚園での保育や指導も決して間違ってはいないと確信してしまいます。
禅寺に生まれた私は小学校入学前に得度をして僧侶になりました。急に坊主にされましたが、周囲の大人は皆同じヘアスタイルでしたので、さして抵抗もせずに頭を刈ってもらった気がします。僧侶になったと言っても元々の寺に住んでいたわけですし、何がどう変わったということもありませんでしたが、学校に行く前に朝課という読経を行うのが新たな習慣となり、夏休みなどは朝課の後に短い坐禅をさせられるのが常でした。本当の極短い時間の坐禅であったせいか坐禅に対する嫌悪感は無く、むしろ心地良さを感じたものです。
そんな少年時の経験からか高校時代に運動をしていた際にはよくメンタルトレーニングの一環として坐禅をしたものです。今思えば当時の坐禅は姿形だけが坐禅で、心中、競技の成功をイメージして行うものでしたから、とても坐禅と呼べるシロモノではありませんでしたが…。とにかく坐った事により心が落ち着き、試合に集中出来たのは確かです。
坐禅は姿勢と呼吸と心を調える行です。このなかでも特に呼吸は最も大切で、静かに長く吐く呼吸をする為に最も適した姿勢が坐禅のスタイルであり、呼吸が落着けば自ずと心は落ち着いて来るものなのです。
年長児の皆さんは月一回、坐禅に取り組んで来ました。過去の卒園生の中には成長し学生や社会人となってから、東園寺で行っている坐禅会に参加してくれた方もごく僅かではありますがおられます。
人生の岐路に迷った時、あるいは自分自身の殻から抜け出したい時、是非坐禅を思い出して貰えればなぁ。本当にそう思います。
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