先日配布申し上げた『お殿様のまちおこし〜伊達綱村公と貞享特令〜』はご覧頂けたでしょうか?
当園の経営母体である東園寺は塩竈神社を信仰し、これを支える塩竈の民に格段のお恵みを施与された伊達綱村公の位牌を安置し、公の菩提を弔っています。先日は報恩の日と称して園児達が綱村公の尊像とお位牌にお参りする機会を設けました。子供達に歴史の話を申し上げても、まだ難解であるとは思いますが、何かしら特別な町であることが伝わり、これが子供達の郷土愛に結びつくことを心から念願します。
ウィキペディアなどを見ると綱村公は寺社の造営などで藩の経営を圧迫し、40代前半で藩主の座を養子である吉村公に譲ったとされています。しかし別な見方をすると綱村公の時代に整備をしたからこそ現代まで存続が出来たと思われる寺社が数多くあるのも事実です。身近なところでは塩竈神社、さらには綱村公の菩提寺である仙台大年寺、燕澤善応寺、意外なところでは平泉の義経堂なども綱村公の命によって建立され、信仰や観光の拠点となっています。
また榴岡公園は生母三沢初子様の供養の為に建立した釈迦堂に隣接した伊達家の馬場に、綱村公が桜を植えさせ庶民に解放したもので現在も花見の時期には大層賑わっていますね。仙台の物産も綱村公由来のものが少なくありません。なかでも日本一の袴と評価される仙台平は綱村公の時代に藩が御用織物師を召し抱えたのが始まりとされています。
このように綱村公は仙台藩の宗教や文化に大きな功績を遺し、現代人もその恩恵に与っていることが分かります。「百年の大計」という言葉がありますが、綱村公の仕事は百年どころでは無く三百年の時を経て尚も光明を増しているかのようです。
震災からの復興途中にある塩竈市。お金では買えない歴史や文化を有しているこの町の価値を、私達住民自体が感じることが復興にはとても大切であると最近頓に感じます。当山としては寺院の護持と幼稚園の活動を通じて塩竈の面白さを後世に伝えたいと考えています。
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