今年の夏、叔父が亡くなり先日東園寺で葬儀を営みました。叔父は茶人として裏千家に奉職し、淡交という茶道誌に長年にわたり禅の言葉に関するコラムを執筆していました。叔父は東園寺の2代前の住職秀峰和尚の次男で宗門大学である花園大学を卒業後、西宮の海清寺で修行し、修行後は大学時代から魅かれていた茶の世界に入ったのです。裏千家に勤務する傍ら、滋賀県の寺の住職もしていた叔父でしたが、平成18年に故郷の東園寺に寺籍を移し、東園寺の副住職となっていました。私は当時まだ40才前で僧侶としての位も叔父の方が上という不思議な住職、副住職の関係でしたが、年に2〜3度帰郷して耳にする叔父との法談はとても楽しく、とても勉強になるものでした。叔父から教わったことで最も大なるものは掛け軸に関する知識です。
数あるお茶道具の中で掛け軸は第一のものとされており、茶席に掛ける軸は本来、墨蹟とされています。墨蹟というのは禅僧の書と定義されて、古来、臨済宗の僧侶の墨蹟は茶席の掛け軸として最も珍重されたものです。
私は正式に茶道を学んだことはありませんが、叔父が来山する際は叔父との話のタネになりそうな墨蹟をあれこれと選び、これが話題となった時には私自身が大いに満足感を味わったものです。これが後に色々と役に立つことになるのですがここでは割愛します。
人間というものは様々な縁により育まれ、成長するものです。人はそれぞれに個性が異なるものであり、私達は人との出逢いの中で自分を真に知るチャンスを得るのです。これから沢山の出逢いを経験する園児の皆さん!素晴らしい縁に恵まれるには相手が誰であれ、相手を敬う心が大切です。幼稚園という子供の社会はこれを学ぶ場であると思っています。
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