1月10日は臨済忌。臨済宗の宗祖である臨済慧照禅師のご命日でした。臨済禅師は今から1250年以上前にお亡くなりになられた唐代の禅僧で、現在の河北省辺りで活動された方です。
臨済禅師は常に私達のような迷った人間でも、お釈迦様と同じ仏そのものであると説いた方です。それでは何故、私達がお釈迦様のように確固たる信念を持ち、堂々と世を生き抜くことが出来ぬかと言えば、私達は自分自身を信じることが出来ずに絶対的な幸福を別のところに求め、日々右往左往しているからに他なりません。
自分自身はここにただ一人だけの存在なのに、他と引き比べて落ち込んだり、あるいは自分は優れていると、驕り高ぶったりするというのが凡夫の我々の常であります。
臨済禅師は「無事」という言葉を頻繁に使われたようです。無事は一般的には取り立てて事(こと)の無い様子を意味し、仏教ではこの意味を深化させて、「寂静無為の境をいう。本来の自己に還った安らかさ。」を表す語句として用います。
一般的な生活を送る者が「本来の自己」などという理解し難い境地にたどり着くのは困難であるとしても、私達を支えている自然の恵や人々の縁を感じ、これに感謝することは「無事」を実践する第一歩だと感じます。
子育てするにしても心中の無事こそが肝心ですね。子宝という何ものにも変え難い尊い命に接する機会を頂いたことの意味をたまには自分自身に確認しつつ、お子様に接して頂きたいものです。
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