6月20日は仙台藩4代藩主伊達綱村公の御命日です。
綱村公はとても寺社を大切にしたお殿様で、特に鹽竈神社に対する崇敬の念はとても篤く、綱村公の時代には諸説あった祭神を学者に研究させた上で、元禄6年(1693)、塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)・武甕槌神(たけみかづちのかみ)・経津主神(ふつぬしのかみ)の三神に定め、これに合わせて元禄8年(1695)社殿を造営(完成は5代吉村公の時代)しました。
また綱村公の時代には藩祖政宗公の時代から整備が始まった各所の堀(のちの貞山運河)の運用が盛んになりました。しかしこの堀を用いて仙台へ荷が直接運ばれるようになり、塩竈港への荷揚げが激減、さらにこれに大火災なども起こり、塩竈の村は大変疲弊したそうです。
塩竈村の人達は火災が起こらぬようにと、天和2年(1682)帆手祭を始め火伏せと共に町の振興を祈りました。これと呼応するように、綱村公は鹽竈神社を支える民の為に貞享特令と呼ばれる9カ条にわたる特令を下し、これにより塩竈の町は賑わいを取り戻したのです。
この特令は塩竈を藩直轄地とし、これに課せられる年貢を屋鋪の持高に応じて分配する事、次にこの年貢分の金子に加えて年250両の金子を社寺や村民に分配下賜する事、7月10日から8月14日まで、毎年、小荷駄日市を立てる事、毎年3月と7月に物見芝居の興行を許可する事、商人荷物、五十集(いさば)船、材木船の荷物はすべて塩竈に着岸する事、市川、山王の入作地の年貢も免除する事、本年貢以外の諸役も免除する事、開墾した鷹の巣浦入江新田(鷹の巣浦入江=現在の尾島町、新富町、旭町辺りの国道45線沿いから花立町の塩釜三小付近までの地域)のあがりを、民の食として用いて良い事、月6度の市を立て物流を盛んにするという9箇条で、財政支援に加え町の活性化を狙ったもので、他の地域には見られぬ保護政策でした。
綱村公が薨去されると塩竈村民はその死を悼み、恩に報いる為に東園寺に位牌を安置して、御命日である6月20日前日の逮夜法要を東園寺で営み、20日当日は代表が綱村公の菩提寺である大年寺に墓参する行事が始まりました。
戦前などはこの伝統に従い市内小学生の代表が東園寺にお参りすることもあったようですが、現在はこのような宗教行事の実施はなかなか難しいところです。幸いにも中央幼稚園の園児の皆さんがお参りしてくれるので、この尊い法要が300年以上も続いています。 |