29歳で修行者となったお釈迦様は6年に及ぶ苦行を修しましたが、呼吸を止める行を修した為に瀕死の状態に陥り、苦行を捨てて、河で沐浴して身体を浄め、スジャータという女性から供養された乳がゆを食べて体力を回復して菩提樹と呼ばれる樹木の下に草を敷いて坐禅し、見事にお悟りを開かれました。
苦行を捨てて坐禅に取り組んだお釈迦様…。研修などで坐禅をされた方には少し引っ掛かる言葉かもしれません。自分の意志に反し、消極的な姿勢で取り組む坐禅ほど苦しいものはありません。まさに苦行ですね。私なども寺の後継という事を意識して取り組んだ学生寮時代の坐禅はとても苦しいものでした。
苦行に取り組んでいた時代のお釈迦様は、修行の目的が解脱というあらゆる束縛から解放される悟りであるのに、これを得る為に用いた手段であった筈の苦行が徐々にエスカレートし、最終的には苦行そのものが目的となってしまったようです。
瀕死のお釈迦様は朦朧とした意識の中で本来の目的を取り戻し、その目的に到達する為の手段として子供の頃も勤しんだという坐禅に取り組んだのです。
仏陀の修行や悟りなどは私達の日常からは無縁のものに感じますが、困ったら原点に帰るというのはとても参考になるのではないでしょうか?仕事でも勉強でも子育てでも、どうしようもない袋小路に迷い込んだら原点回帰!これに尽きるかと思います。 |