精進はもともと仏教の言葉で一心に修行に励むことを意味します。また肉や魚を含まない料理を精進料理と言いますね。昔は日本の僧侶も肉食が禁じられており、僧侶以外の信者も両親が亡くなって一定期間は僧侶のように肉食を止め言葉や行為を正す習慣があり、これをお精進と呼んでいたようです。一応弁解しておきますが、お釈迦様自身は肉食を禁じておらず、ある一定の条件をクリアした肉は食べても良いことになっています。
話しを精進に戻しましょう。お釈迦様は29歳で修行者となり、6年の修行の後にお悟りを開きブッダとなられます。最初はアーラーラ・カーラーマ、次にウッダカ・ラーマプッタという2人の先生について伝統的な瞑想を行いますが、これに満足せずお釈迦様は肉体を極限まで追い込む苦行に取り組み瀕死の状態となります。これによってお釈迦様は苦行は無益だと思い改めて坐禅に取り組んで悟りを開きます。坐禅をした事がある人はお分かりでしょうが、苦行を捨てて坐禅っておかしくないですか?坐禅ってまあまあキツいですよね。充分に苦行!
苦行時代のお釈迦様は「苦しいこと、もっと苦しいこと」とエスカレートしてしまい、本来の目的を見失ってしまったのだと思います。私達の日常でも手段が目的化してしまい目標から遠ざかってしまうことがありますね。大きな目標がしっかりしてそれに向けて一心に努力をしている姿は、他人から見れば苦しいことでも本人にとっては何でもないことが多々あります。お釈迦様が苦行を捨て坐禅に取り組んだという逸話はまさしくこれです。
子供達にはいろいろな事にチャレンジして、自分が夢中になれる何かを見つけてもらいたいものです。大きな目標に一所懸命!これが本当の精進! |