平成二十八年三月発行
向上の一路は千聖も伝えず
平成二十三年三月十一日に発生した東日本大震災から五年の歳月が流れました。先日、保育証書を書きながら、今年の卒園児は平成二十一年~二十二年生まれであることを見て、既に園児の大半は震災を体験していない世代となっていることを痛感しました。震災の記憶を意識して後世に伝える努力をせねばならぬと改めて自覚した次第です。
向上一路(こうじょういちろ)は
千聖(せんしょう)も伝えず
学者、形を労すること
猿、影を捉えるが如し (盤山宝積禅師)
私がとても好きな偈頌(げじゅ=宗教詩)です。
人は向上の一路に努めることが何より肝心。つまり、理想を持ち、そこに向かって進むべきです。しかし、その向かい方というもの、生き方そのものは誰も教えてくれはしない。これはお釈迦様でさえも教え得ぬ。修行者よ!姿形に束縛され、人真似に人生を費やすならば、水面に影じた月を取ろうとして命を落とす猿のようになってしまうぞ!
人生は長くて百年。しかしながら我々が生きる命は天然自然に育まれ、気の遠くなるほど長い間の縁に繋がれたものです。有り難いですね。そして、この有り難さに気付ける人生はとても幸福だと思います。
しかし、この有り難さになかなか気付け無いのが我々ですね。何か無意識に我と他、あるいは他と他を比べてしまいます。ときには大切で比べようも無い我が子を他人の子供と比べてしまう…。もちろん比較や競争により、人間はその可能性を広げることが出来ますが、その根底に自分を信じる力や自分自身の有り難さに気付かなければ本当の努力も出来ない筈です。震災の時に何気なく過ごす日々の大切さを実感した被災地の我々。さて今はどうでしょう?