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法螺貝 住職の法話

平成三十年八月発行

「伊達綱村公三百年遠忌 その4」

 最後に肯山公が薨去に臨んでお作りになった遺世の偈頌(サンスクリット語、ガータの音写で本来は宗教詩を意味する。)を紹介致します。
 「常に幻法門を示す、豈に重説偈言せんや。人頻りに端的を問う、虚空に草鞋を翻す。」
 (私は既に如幻三昧の法門を示して来た。どうしてまた詩偈を作る必要があろうか?人はしきりに「何処に行かれるのですか?」と尋ねて来るが、虚空に行脚するに過ぎないのだ。)
 三百年前に行脚に出られた肯山大居士、現在の塩竈をご覧になり如何に感じておられるでしょうか?明治に至り伊達家の保護が無くなった塩竈は港の浚渫も儘ならず一時衰退の一途を辿ったと言います。しかし当時の塩竈人は肯山公の恩徳に報い塩竈港を復興すべく「肯山講」を組織し、航路の浚渫、築港工事資金として有志寄付金、金六千円を募り、さらには一戸十七名の割で労働奉仕を動員し、明治十五年より三年三カ月を費やして築港整備、旧国鉄塩釜駅付近埋立地五千坪、仙石線本塩釜駅前南北三百間の築堤を竣工させたと伝えられます。当時の六千円とは塩竈村周辺四カ村の五年分の税額に相当する金額です。当時の塩竈人の公共心には驚かされますが、この巨額な資金が肯山公の名を冠として募られた事は肯山公の顕彰に関わる一人として、言下に尽くせぬ感動を得るのです。
 東日本大震災の影響もあり、塩竈は産業経済の面では大きな転換期を迎えています。今こそ肯山大居士の恩徳を肝に据え、地域の復興にそれぞれの立場で尽力し、先人の積み重ねて来た伝統や文化を後代に伝える努力をする事こそが塩竈市民の為すべき報恩行だと痛感します。
 末筆となりますが肯山公始め歴代公が眠る大年寺墓所を守る仙台伊達家十八代当主伊達𣳾宗様、そして大年寺会各位のご精進に敬意を評し駄文の結びと致します。
松巌山東園寺住持比丘 一道成也拝書

 
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