令和四年九月発行
「ご用心」
安倍元総理が凶弾に倒れたことは我々日本人を震撼させた出来事となりました。先ずは安倍元総理の御霊の寧(やす)からんことを祈りたいと思います。
さてこの惨事により炙り出されたかたちになった政治と某新宗教の関係ですが、政教分離と言いながら集票力を持つ宗教団体と政治家の関わりは古くから知られるところで、今さら驚くまでもありません。但し、今回問題視されている団体は以前にも様々なトラブルを起こしており、保守系の政治家との密接な繋がりは、驚きを超えて畏怖すべきものがございます。
20年以上前の事ですが、東園寺にキリスト教団体を名乗る組織から仙石線高架化工事で亡くなった朝鮮の方々の供養をして頂けないか、さらには当山による読経の他にキリスト教、神道による祈りを捧げる会場として本堂を提供して欲しいとの打診がありました。私はその趣旨に多いに賛同し、合同法要を行うつもりで準備していましたが、法要日程が決定してから頂いた団体紹介の冊子に某教団教祖の名を発見、さらに団体名をインターネット検索してみると某新宗教に直結する組織だった事が判明し、法要の世話人にこれを正すとあっさりその事実を認めましたので会場使用と法要実施を急遽断った事がありました。
法要中止の申し入れを聞いた世話人は弁明と予定通りの法要実施の懇願に訪れましたが、この教団の公式ホームページに釈尊に対する誹謗があり、当方が崇敬する仏陀教の教えを非合理な論理で中傷する団体に会場を提供するわけにはいかない事を申し上げ、法要直前ではありましたが、すべての計画の変更と全面的な謝罪を得ることが出来ました。
その教団のホームページには各所で同じような合同法要を営んでいる事が、会場となった伝統仏教の寺院名と共に掲載されていました。場所を提供した寺院の僧侶はきっと真面目な宗教者で真摯なお気持ちから法要を行ったのだと思うのですが、やはり様々なトラブルを抱える教団のホームページに寺院名を残す事は、それらの新宗教に誤った信用を与えるものであり、充分に注意せねばなりません。
信教の自由は日本国憲法で認められた大切な権利です。宗教団体が弾圧されたり、不当な差別を受ける事があったりしてはなりません。しかし、社会的な正義や基本的人権を脅かす団体は宗教と言えるかは充分に検討すべきです。オウム事件以来、新たな宗教法人は認めづらくなってはいますが、それ以前から活動する新宗教は、少なからずトラブルを有していても、様々に形式を変えながら命脈を保っています。自己啓発や精神的な健康を謳う団体もあり、非常に巧妙になっているようです。問題がある教団でも簡単に法人解散などが出来ないのは周知の事実。皆様、どうかお気をつけください。