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法螺貝 住職の法話

平成二十五年十月八日発行

「宗教は無力?」

「2年半前、神も仏もない被災地のがれきの山の隅に十字架が立っていた。誰かが棒をくくって墓標に見立てたのか。惨状の前で、無力な宗教の姿そのものでもあった。云々」
お彼岸中に新聞で見かけた記事です。文章の本旨としては、臨床宗教師の養成や宗教者の公の場での活躍を期待するものでしたが、宗教に携る者としては宗教=無力という言葉に引っ掛かってしまったのであります。
あの未曾有の大災害にあって、神仏のご加護など無いと感じる方は少なからず居られたでしょう。一方で、手を合わせ祈るという行為により、自らの傷ついた魂を癒すことが出来た方もおいでになるのも事実であると感じます。
瓦礫中の十字架は、果たして如何なる意図でそこに建てられたのでしょうか?多くの犠牲者の為に?それとも愛する家族の為に?少なくとも小衲はその十字架に「宗教の無力」では無く、そこあった人々の生活や犠牲者の無念、さらには異なる宗教にあっても十字架を掛けた方の犠牲者に対する思いが一つであることを感じるのです。
まさしく一体の十字架から人間は多くの事を感じ、それを我が身に活かす事だって出来るのです。さて、宗教は無力でしょうか?

 

 
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