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東園寺所蔵書画

雲居希膺禅師 法語「洞水長老、賀正の偈に曰く」

雲居希膺禅師 法語「洞水長老賀正之偈曰云々」

洞水長老、賀正の偈に曰く
久しく福浦に依って新正を賀す、波に是非有って、心清からず。江頭に白鳥を看ることを欲せず、又た山裏に黄鶯を聴くことを思う。
 又富山に入る偈に曰く、
世間の名利、無量の苦しみ、竹椅蒲団、是れ安住。
今、誓願に乗じて此の山に入る、十年、来時の路を履まず。
 雲居老拙、卒に二偈に和して曰く、
若し時節を忘ぜば、豈に正を論ぜんや、是非の波を離れば、心自ずから清からん。汝に勧む、宜しく平等の法を修すべし、江鳥を憎み、山鶯を愛すること莫かれ。既に名利を離るれば、心に苦しみ無し、朝市山林、何ぞ住を択ばん。汝若し十年誓って帰らずんば、能く須らく来時の路を忘却すべし。
古徳曰く、見、師に過ぎて、方に伝授するに堪えたり」と。汝、幸いに超宗越格の機有り勉焉勉焉至祝至祝。

 雲居禅師は松島瑞巌寺中興開山。洞水禅師はその弟子で実際に現在の瑞巌寺の法流の基礎をつくった禅僧です。洞水は日向国飫肥(宮崎県日南市)の生まれで、雲居禅師来松以前より瑞巌寺で修行しており、雲居禅師の拝請の為に尽力しています。洞水禅師は若年時より政宗公の目にもとまる碩学であったようで、寛永13年(1636)8月雲居禅師が瑞巌寺に入寺するや、その室に参じ寛永14年頃には雲居禅師よりその禅境を認められています。
 この墨蹟は洞水のお正月の偈頌と富山入山の偈頌に雲居禅師が和韻したもの。洞水禅師の富山隠棲の時期から推測すると正保元年(1644)に書かれた墨蹟ではないかと思われます。和韻とは人の作成した漢詩に韻を合わせて作成するものです。内容としては洞水禅師が俗世を厭い、富山の幽谷の静寂を求め山中に独居し悟りの境地を深めんとする決意を述べたのに対し、雲居禅師は「若し時節を忘れたならば論議などというものがあるだろうか?物事の是非を離れれば、物も心も自ずから清らかなものだ。巷を嫌い山鶯に執着することなく、平等法を修めなさい。」「すでに功名心を離れれば苦など無い筈だ。市中だの山林だの、何故住処に迷う必要があろうか。君は十年は帰らないと誓っている。来た道を忘れるぐらい一生懸命修行しなさい。」と洞水禅師の閑寂を求める心に不徹底なるところを認めつつも最後は碧巌録34則にも引用される寒山詩の「安身の処を得んと欲せば寒山長しえに保つべし 微風幽松を吹き近くに聴けば声愈好し 下に斑白の人あり 喃喃として黄老を読む 十年帰り得ず来時の道を忘却せり」をふまえ激励しています。

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