雲居希膺禅師 法語「百歳暫須臾云々」
千坂秀学師寄贈品
雲居禅師の法語は崇高な境涯を謳ったものよりも、日常の道徳を基本的な仏教語を用いて説いたものが多い。この墨蹟はその好例で、「三界唯心萬法唯識」(存在はすべて心より発せられるものである。)を始め「法性は生滅無し」という言い回しは、禅宗的では無いといえる。前述の通り、因果応報と忠孝の徳を教示する内容は雲居禅師の法語の大きな特色である。これは雲居禅師が出家の弟子だけでは無く在家信者にも積極的に法を説いた証と言えるものだろう。
百歳暫く須臾、一念無量劫。気は聚散(しゅうさん)有りと雖も、法性は生滅無し。諸仏 と衆生とは、従来同一性にして、這箇の一性は、不生不滅なり。以ての故に、僧俗男女の相を論ぜず、貴賤老少の業を択ばず。即身即ち仏体、即心即ち仏性。然も是の如くなりと雖も、三界唯心、万法唯識なり。一念邪なれば、六凡の迷衢(めいく)に輪回し、一念正なれば、四聖の覚路に遊戯(ゆげ)す。現世に罪を造らずんば、来世に何ぞ苦を受けん。少年に能く業に勤むれば、老年は必ず楽有り。君臣に恩義有れば、家国は自ずから興盛す。父母、仁慈を施せば、子孫、必ず繁昌す。人間の私語、天の聴くこと雷の如し。暗室の欺心(ぎしん)、神の視ること電の若し。豈(あ)に慎まざる可(べ)けんや。
雲居禅師の法語は崇高な境涯を謳ったものよりも、日常の道徳を基本的な仏教語を用いて説いたものが多い。この墨蹟はその好例で、「三界唯心萬法唯識」(存在はすべて心より発せられるものである。)を始め「法性は生滅無し」という言い回しは、禅宗的では無いといえる。前述の通り、因果応報と忠孝の徳を教示する内容は雲居禅師の法語の大きな特色である。これは雲居禅師が出家の弟子だけでは無く在家信者にも積極的に法を説いた証と言えるものだろう。
百歳暫く須臾、一念無量劫。気は聚散(しゅうさん)有りと雖も、法性は生滅無し。諸仏 と衆生とは、従来同一性にして、這箇の一性は、不生不滅なり。以ての故に、僧俗男女の相を論ぜず、貴賤老少の業を択ばず。即身即ち仏体、即心即ち仏性。然も是の如くなりと雖も、三界唯心、万法唯識なり。一念邪なれば、六凡の迷衢(めいく)に輪回し、一念正なれば、四聖の覚路に遊戯(ゆげ)す。現世に罪を造らずんば、来世に何ぞ苦を受けん。少年に能く業に勤むれば、老年は必ず楽有り。君臣に恩義有れば、家国は自ずから興盛す。父母、仁慈を施せば、子孫、必ず繁昌す。人間の私語、天の聴くこと雷の如し。暗室の欺心(ぎしん)、神の視ること電の若し。豈(あ)に慎まざる可(べ)けんや。
希膺