古月禅材禅師「渓声便是廣長舌 山色豈非清浄身」
「渓声便ち是れ広長舌 山色豈に清浄身に非ざらんや」は中国北宋時代の詩人蘇東坡の詩。古月活躍期の癸卯(みずのとう)は享保八年(一七二三)、古月五七歳。杜多は頭陀と同義。修行者のこと。
古月禅師(一六六七~一七五二)は、現在の宮崎県広瀬佐賀利に生を享け、十歳にして佐土原の松巌寺の一道和尚のもとで出家。二十一歳で一道和尚に随行して上洛の後、畿内及び九州を行脚し、二十七歳までには多福寺賢巌善悦禅師にその境涯を認められる。その後の諸国行脚では、松島瑞巌寺通玄和尚(当時は陽徳院住職)にも参じている。四十一歳で、佐土原藩主島津惟久公の命を受け大光寺四十二世となった。当山中興開山曹源祖水禅師は古月禅師や古月禅師の法兄弟である定山禅師の下で修行している。