大領義猷禅師「雲居禅師十悔章」
少年不謹老後悔
壮年不仕患後悔
逢師不学去後悔
事賢不交別後悔
事親不孝喪後悔
事主不忠退後悔
見義不為過後悔
見危不遠陥後悔
得財不散空後悔
得国不治乱後悔
不信因果招時悔
不信菩提死時悔
萬事一失悔不回
勧君平生要無悔
雲居膺禅師述后裔義猷書
(訓読)
少年に勤めざれば、老いて後ち悔ゆ。壮年に仕えざれば患いて後ち悔ゆ。師に逢い学ばざれば、去りて後ち悔ゆ。賢に事(つか)えて交わらざれば、別れて後ち悔ゆ。親に事えて孝ならざれば、喪(うしな)いて後ち悔ゆ。主に事えて忠ならざれば、退いて後ち悔ゆ。義を見て為さざれば、過ぎて後ち悔ゆ。危(あやうき)を見て遠ざからざれば、陥ちて後ち悔ゆ。財を得て散ぜざれば、空(うし)のうて後ち悔ゆ。国を得て治ざれば、乱れて後ち悔ゆ。因果を信ぜざれば、招きしとき悔ゆ。菩提を信ぜざれば、死しとき悔ゆ。萬事、一たび失えば、悔ゆとも回らず。君に勧む、平生要(かなら)ず悔い無からんことを。
雲居膺禅師の述 后裔義猷書す
(解説)
瑞巌寺102世大領義猷禅師の書。雲居希膺禅師が訓戒されていたことを記した作品。雲居禅師には『十悔章』と呼ばれる墨跡が数点現存しており、大領禅師はこの雲居禅師の書を写しているものと思われる。ただし、この資料は冒頭の二章が多く十二章となっている。参考までに『雲居和尚墨跡集』(昭和60年発行 瑞巌寺)参考資料27(272ページ上段)に掲載される雲居禅師自筆の十悔章は次の後述資料2の通り。資料1は妙心寺展(平成21年 東京国立博物館)に出展された作品。大領禅師の墨跡は資料2に近い。
大領禅師は黒川郡吉田村の出身、伊達家の飛び領地である滋賀県石馬寺の住職を経て、瑞巌寺102世住持就任。在任中に松尾芭蕉が松島を訪れている。元禄3年遷化、本光瑞如禅師と勅諡される。世寿61
また、生地の縁もあり、瑞巌寺開山法身禅師が開創したと伝えられる長福寺を再興し、禅興寺として開山となる。大領禅師の法嗣は定嶽東慧禅師、寂隠慧中禅師の二人。定嶽禅師の法が、定嶽東慧―燈外祖燈―江南慧隆―曹源祖水(妙心寺399世、瑞巌寺110世、東園寺中興開山)と伝えられ現在の東園寺の法流となる。
(資料1)
逢師不学去後悔
逢賢不交別後悔
事親不孝喪後悔
事主不忠退後悔
見危不遠陥後悔
見義不為過後悔
治国奢者乱後悔
聚財楽者失後悔
不信天道及後悔
不信仏法臨終悔
萬事一失悔不回
勧君平生要無悔
前花園現松島寓勝雄
把不住軒主
希膺(花押)
(資料2)
逢賢不交別後悔
逢師不学去後悔
事親不孝喪後悔
事主不忠退後悔
見危不遠陥後悔
見義不為過後悔
得国不仁乱後悔
得財不散失後悔
不信因果報時悔
不信菩提死時悔
萬事一失悔不回
勧君平生要無悔
前花園現松島寓勝雄