雲居希膺禅師「神秀禅師偈頌」
神秀曰く
身は是れ菩提樹
心は明鏡の台の如し
時々に勤めて払拭して
塵埃を惹かしむること莫れ
雲居叟希膺(花押)
瑞巌寺中興開山雲居希膺禅師によって書された神秀偈頌。神秀禅師(?~706)は開封(河南省)出身。身の丈8尺の堂々たる体躯で100余才の長寿を全うした。達磨大師から数えて5番目の祖師である弘忍禅師のもとで修行し、弘忍会下700名の上座となり、弘忍禅師遷化の後は、荊州江陵当陽山に住して多くの弟子を集めて教線を拡大した。神秀禅師の名声は天に達し、則天武后、中宗、張説、睿宗の帰依を受け三帝の国師となった。
神秀悟道の偈頌は、弘忍禅師が後継者を決める手段として弟子達に境涯を示す偈頌の作成を求めたことに応じて作成されたものだとされるが、後に神秀の法門を批判的に捉える慧能禅師派中による資料に由来するもので、実際に神秀が作成したかは不明である。
この作品は、慧能禅師の法の流れにある雲居禅師が神秀の偈頌を書いているということが興味深いところ。戒を重んじ、綿密な修行を怠らなかった雲居禅師と神秀禅師の境涯に通ずるものがあったのだろうか?それとも慧能禅師と双幅に記した片方が当山に存在するのだろうか?専門家のご教示によれば50代後半~60才位の書とのこと。
紙本 縦27.6㎝ 横 41.6㎝