指津宗珢禅師(1726~1786)「達磨画賛」
指津宗珢(ししん そうぎん)禅師は享保11年播州竜野の出身。俗姓は金地氏。幼年に出家して妙心寺塔頭の蟠桃院實田和尚の弟子となる。後に行脚して白隠禅師の膝下に参じ印可される。海福院の斯経禅師は白隠下の同門で、共に白隠禅師の教導を助けた。宝暦10年35歳にして蟠桃院住職就任。蟠桃院8世。天明5年蟠桃院を弟子の卓幢に譲り、天明6年遷化。世寿61歳。蟠桃院に眠る。
指津禅師は書に巧みで、参問の徒であった円山応挙に禅のみならず書の指導も行い、自らは応挙に画を学んだという。この交流を伝えるものとして応挙筆による指津禅師の頂相(ちんそう=禅僧の肖像画)がある。作品は指津禅師自画自賛の達磨図。応挙から指導されたというだけあって、通常、禅僧が画くシンプルな達磨図とは異なり、繊細な筆致である。
般若多子 香至王生 九年面壁 一事不成 脚無轉地
眼未点睛 自賛自画 此野狐精
華園叢中珢杜多拝畫