雲居希膺禅師「自筆書状 閏正十二日付」
貴札の如く新春の
御慶 何方も千秋
萬歳 仍て祝儀と爲て
一種の嘉惠 過々
當々 餘慶猶お
登仙の刻を期して 恐々
不宣
王正十二日
雲居 希膺 花押
閏正月は正保五(1648)年、雲居禅師六十七歳。宛名が切り取られており、何方に宛てた書翰か不明であるが、専門家の指摘によれば高貴な方に宛てた体裁であるとのこと。
禅師の年譜に「この年、旱魃月を超え、庶民、菜色となり、屯長、師に訴う。一山の衆徒を裒(あつめ)て大船を江上に艤(つな)ぎ、二位の尼、見仏上人に寄せる舎利塔を奉持し、懺摩しこれを祈る。」とある。雲居禅師は旱魃により苦しむ民衆の為に、北条政子が見仏上人に寄進した仏舎利を用いて雨乞いの祈祷を行ったのである。この祈祷が効いたのか、しばらくして鉢の水をひっくり返したような大雨が降ったという。