古梁紹岷禅師「竹画賛」
宝暦六年~天保十年(一七五六~一八三九)
南山の号で親しまれる。相模の出身。九歳、故郷の大島村長徳寺で得度、後に江戸の東禅寺に移る。十二歳の時、仙台藩七代藩主重村公の給仕の際に誤って公の裾に茶をこぼしたが、その後の泰然たる姿を感心した重村公より学資金が下されたという。
東輝庵の月船、物先に参じ、物先禅師に印可される。寛永五年、南山和尚三十八歳にして仙台瑞鳳寺十四世に就任。これより天保十年十一月八日瑞鳳寺山内雄心院にて遷化するまで、仙台文化サロンの中心として活躍する。いわゆる仙台四大画家である梅関、東洋、伊洲、曲江らと交流も深く、これらの人との合作も少なくない。
蕭灑薮竿足清風不在多
癸亥孟秋七日
僊臺南山道人戯墨
南山和尚による竹画賛。癸亥(みずのとい享和三年、一八〇三)は南山和尚四十七歳。