古梁紹岷禅師、東洋、東寅合作「亀画賛」
南山和尚(古梁紹岷)、東洋、東寅の亀画賛。南山和尚の賛を伴い、東洋の筆で「倣南山尊者筆意」とある。印譜の位置から一番の上の亀が南山、真ん中が東寅、下が東洋の画であることが分かる。
南山和尚の賛は「三人證亀為鼈」(三人亀を證して鼈と為す)とある。これは『虚堂録』(巻二)にみられる語句で「三人が口をそろえると亀がすっぽんとして通用する。衆人を惑わすところ黒白が顛倒することの喩え」(禅語辞典)「三人が三人ともすっぽんだと言ってしまえば、亀もすっぽんになってしまう。三人とも誤りだの意。」(禅語字彙)という意味。
・古梁紹岷(こりょう じょうみん)1756−1839
南山の名で親しまれる。宝暦6年、相模の出身。江戸東禅寺での修行時代に七代藩主重村公に見出され、後に仙台瑞鳳寺の住持となる。書画に巧みで、東洋、菅井梅関、小池曲江らとの合作も残される。天保10年11月8日遷化。世寿84歳。遺体は遺言により閖上に水葬されたという。
・東洋(とうよう)1755−1839
江戸時代後期の絵師。宝暦5年生。京都で狩野梅笑に狩野派を、また四条派の松村月渓に学ぶ。天保10年11月23日死去。85歳。陸奥栗原郡出身。法眼。別号に玉峨、白鹿園。
・東寅(とういん)1793−1853
江戸時代後期の絵師。寛政5年生。四条派。仙台藩四大画家東洋の長男。父東洋、狩野照信に師事。花鳥・人物画にすぐれた。嘉永6年11月3日江戸にて死去61歳。法橋。字は木星。通称は俊治。別号に長月。