仙台藩四代藩主伊達綱村公自筆書状 三沢初子宛
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四代藩主綱村公の参勤交代記録から見て四月二十五日江戸発駕、五月二日仙台着とある延宝七年の書状とした。記述のとおり六日には東照宮に参詣、また鹽竈の宮には代参として石川主馬を遣わしている。石川主馬は綱村公の実弟で同腹、初め石川民部の養嗣子となるが貞享元年宇和島侍従の嗣となり宗贇(むねよし)と改めた。藤井は三澤初子の老女。貞享初子没後、尼となり日性を称し翌年死去した。養子太田資則は綱村に用いられ千三百石迄進み少老になったという。この歳綱村二十一歳母は四十歳である。
なお追伸部の「ばんたか野」は治家記録中の翌日五月七日の項に「印刻鷹狩トシテ御出、若林ヨリ荒井六丁目辺御又ヒ歴荒浜海辺二於イテ行厨開カセラレ」とあり五位鷺と鴋を各に一羽獲らえた。従って「ばん」は晩ではなく鴋(鷭)とも考え得る。
※東海林恒英先生にご解説頂きました。
なお追伸部の「ばんたか野」は治家記録中の翌日五月七日の項に「印刻鷹狩トシテ御出、若林ヨリ荒井六丁目辺御又ヒ歴荒浜海辺二於イテ行厨開カセラレ」とあり五位鷺と鴋を各に一羽獲らえた。従って「ばん」は晩ではなく鴋(鷭)とも考え得る。
※東海林恒英先生にご解説頂きました。