一絲文守禅師法語「舎利弗曰問竜女云々」
一絲文守禅師法語「舎利弗曰問竜女云々」(1608~1646)
京都久我家の出身。14歳にして相国寺雪岑に参じ、沢庵、雲居、愚堂に歴参。愚堂の法を嗣ぐ。後水尾天皇の帰依をうけ、寛永18年丹波法常寺を開創。同年近江の永源寺に住した。世壽39歳。詩文水墨画に長じ、著作の多数伝わる。夭折が悔やまれる名僧である。
法語は、舎利弗が龍女にやり込められた維摩経の一節にもとづき、尼僧をして更に向上の一路を求めるいう内容。
京都久我家の出身。14歳にして相国寺雪岑に参じ、沢庵、雲居、愚堂に歴参。愚堂の法を嗣ぐ。後水尾天皇の帰依をうけ、寛永18年丹波法常寺を開創。同年近江の永源寺に住した。世壽39歳。詩文水墨画に長じ、著作の多数伝わる。夭折が悔やまれる名僧である。
法語は、舎利弗が龍女にやり込められた維摩経の一節にもとづき、尼僧をして更に向上の一路を求めるいう内容。