半身達磨画賛 賛 説心宗宣禅師 画 作者不明
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廓然□□□就□
天下誰知恁麼人
本色衲僧□中眼
絳衣□裏□孤身
前花園説心拝讃
※⬜︎は判読不明の文字
説心は興津清見寺5世。清見寺は白鳳年間(7世紀後半)に天台宗寺院として開創、鎌倉時代に東福寺聖一国師の弟子である関聖上人(無伝聖禅禅師)によって禅宗寺院として再興、さらに近世になり徳川家康公が今川家にあった際の教育係である太原崇孚(たいげんそうふ)禅師が天文9年(1540年)に中興して第1世となりました。説心禅師は太原禅師から数えて5世となります。 東京高輪東禅寺開山嶺南和尚は若き日に説心禅師に参じています。
天下誰知恁麼人
本色衲僧□中眼
絳衣□裏□孤身
前花園説心拝讃
※⬜︎は判読不明の文字
説心は興津清見寺5世。清見寺は白鳳年間(7世紀後半)に天台宗寺院として開創、鎌倉時代に東福寺聖一国師の弟子である関聖上人(無伝聖禅禅師)によって禅宗寺院として再興、さらに近世になり徳川家康公が今川家にあった際の教育係である太原崇孚(たいげんそうふ)禅師が天文9年(1540年)に中興して第1世となりました。説心禅師は太原禅師から数えて5世となります。 東京高輪東禅寺開山嶺南和尚は若き日に説心禅師に参じています。