盤龍禅礎老師「関置字」
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関
水清無魚
「関」は「迷悟を越えた絶対の境界。みだりに通れぬ関所。安心(あんじん)の関所。」(柴山全慶老師『禅林句集』)の意。置字の「水清無魚」は『句双葛藤鈔』などに載せられる「水至清則無魚人至察則無徒」(水至て清ければ則ち魚無く、人至て察なれば則ち徒無し。)から引用した語句。
水清無魚
「関」は「迷悟を越えた絶対の境界。みだりに通れぬ関所。安心(あんじん)の関所。」(柴山全慶老師『禅林句集』)の意。置字の「水清無魚」は『句双葛藤鈔』などに載せられる「水至清則無魚人至察則無徒」(水至て清ければ則ち魚無く、人至て察なれば則ち徒無し。)から引用した語句。