「菩提本無樹云々」
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慧能曰く
菩提本樹無し
明鏡も亦台に非ず
本来無一物
何れの処にか塵埃を惹かん
雲居叟希膺(花押)
以前に紹介した雲居希膺禅師筆「神秀禅師偈頌」http://www.toenji.com/zousho/108.htmlと対というべき作品。本作は令和2年12月に入手した作品で、入手時期、経路共に全く異なり、表具の仕様も「神秀禅師偈頌」とは別物ではありますが、本紙の大きさや書風から見て同時期に書かれたと言って間違いない墨蹟です。雲居禅師が50代後半~60才位の筆と考えられます。
達磨大師から数えて5番目の祖師である弘忍禅師は後継者を決めるに際し、弟子たちに悟りの境界を読み込んだ偈頌(仏教的な詩偈)の提出を求めました。これに対し弘忍門下の神足である神秀禅師は「身は是れ菩提樹 心は明鏡の台の如し 時々に勤めて払拭して 塵埃を惹かしむること莫れ」と詠み、これを師匠の御堂近くの廊下にこの偈頌を書きつけて自らの見解を示します。しかし、これを見た弘忍禅師はこの詩偈の良さを認めつつも、神秀を密かに自室に呼び寄せ、神秀が未だ大悟に達していないと断じます。
この頃、在家の立場で寺に勤めていた慧能禅師はこの詩偈に足りぬものが瞬く間に分かりましたが自分では文字も書けなかったので、先輩に代書してもらったのが、「菩提本樹無し云々」の偈頌です。「悟りにはもともと樹はない。澄んだ鏡もまた台ではない。本来からりとして何もないのだ。どこに塵や埃があろうか。」(『六祖壇経』中川孝著タチバナ教養文庫)という内容で、弘忍禅師が慧能禅師を六祖として認める機縁となった偈頌です。
紙本 縦31.2 ㎝ 横39.7㎝