雲居希膺禅師「安名 孝宅並びに法語」
孝宅
孝者衆善之長善者萬行之本是故経云諸悪莫作衆善奉行
自浄其意是諸仏教祖宗門下即不然思善思悪地獄天堂正見邪見仏界魔界
不思善不思悪則無仏無魔無神無鬼無瞋無喜無苦無楽天堂地獄亦在
何處汝平日修孝行善之外更莫向外求菩提會麼若會不得□□
仏祖之言教六祖云自性平等衆生是仏自心邪険仏是衆生
仙䑓城下䰍工善九郎就余為父母求法名次自亦欲之仍諱之以行善
字以孝宅并示法語一篇
寛永十八年仲春時前花園叢中寓松島岩畔把不住軒主雲居叟希膺(花押)
寛永十八年、雲居禅師が仙台城下で漆工を生業としていた善九郎なる人物に与えた法名とその授与に当たっての訓戒を記した書。儒教の徳目である孝と仏教における七仏通戒偈、さらには禅宗門の教えとして、六祖慧能禅師の言葉を重ね合わせて、自らの心を調うべきことを説いている。
漆工の善九郎は不詳。寛永十八年は雲居禅師六十才、来松して五年ほどとなる。大亀金葉和尚の年譜によればこの年は相馬にて罰せられた「青の胤治」なる人物を助けている(胤治は後に退休居士と名乗る。)。また翌年寛永十九年は松島の日吉山王神社を現在地に遷しており、藩内において精力的に活動している様子が伺える。職人と親交を結び法名を与えたという事実は、五年という僅かな時間で、雲居禅師の道風が広く藩内の僧俗に慕われていたことを示す証と言えよう。