太陽東潮和尚「我心似秋月云々」
我心似秋月 碧潭清皎潔 無物堪比倫 教吾如何説
我が心は秋の月の 碧潭、清うして皎潔たるに似たり 物の比倫するに堪えたるなし、吾をして如何が説かしめん。 七十翁北山書
太陽和尚の書。明治初の瑞巌寺住職である太陽和尚は藩の外護を失った同寺の護持資金を得る為に数多くの墨蹟を遺しています。この作品は有名な寒山詩の一首を記したもので、縦133センチ横58.5センチの大幅です。北山は太陽和尚の別号。太陽和尚70歳は明治5年位だと思われます。
太陽東潮和尚「我心似秋月云々」我心似秋月 碧潭清皎潔 無物堪比倫 教吾如何説 太陽和尚の書。明治初の瑞巌寺住職である太陽和尚は藩の外護を失った同寺の護持資金を得る為に数多くの墨蹟を遺しています。この作品は有名な寒山詩の一首を記したもので、縦133センチ横58.5センチの大幅です。北山は太陽和尚の別号。太陽和尚70歳は明治5年位だと思われます。 |