古梁紹岷禅師「牛画賛」
窓櫺を過ぎし後、人の識る無し
五祖門庭、帰去来(かえりなんいざ)
南山老人戯墨
無門関三十八則「牛過窓櫺」に由来する画賛。
「五祖曰く、譬えば水牯牛の窓櫺を過ぐるが如し、頭角四蹄、すべて過ぎ了る。甚麼によってか馬巴過ぐることを得ざる。」(譬えていうならば、水牯牛が格子窓を過ぎ去ったようなものだ。頭も角も、四本の脚も胴体も皆過ぎ去ったのに。尻尾だけが過ぎ去らず後に残って見えるているのは何故なのか?)
五祖は五祖山の法演禅師。「牛過窓櫺」は昔から数ある禅問答の中でも大変難問であると言われます。
南山和尚の賛は「牛過窓櫺のような難問を透過したことも今は識る人もいない。さあ五祖の教えに立ち返ろうではないか!」という意味か。