佐久間洞巌(さくま どうがん1653〜1736)
「陸奥国塩竈松島図」
佐久間洞巖が元絵を描いた塩竈松島図。享保13年(1728)に作成されたもので、後に描かれる松島塩竈を山側から描く鳥瞰図は、この絵の構図を踏襲しているようです。
佐久間洞巖は江戸時代前期から中期の儒者・画家・書家。名は義和。字は子巌。号の洞巖で知られます。別号は容軒・太白山人。幼名は梅之助。通称は彦四郎。
洞巌は仙台藩の国史の作成に関わり、多賀城碑の保存や研究にも携わっています。