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東園寺所蔵書画

雲居希膺禅師「因幡薬師如来縁起」


洛陽因幡堂ノ藥師ハ釋尊ソノカミ本来悪世
衆生利益ノタメニ手カラ自ラ刻タマフ所ノ聖容ナ
リ六十六代一條院長保五年四月七日二因幡ノ國
ヨリ彼國司橘ノ行平卿ノ宿所二飛来シタマフト云
夫南無東方浄瑠璃世界ノ教主醫王善逝如来
ハ諸病悉除ノタメニ十二ノ大願ヲ發シタマフナルヲ
今ノ人ハ只血氣ノ病ヲノミ治シタマフト思ヘリ愚ナルカナ
釋尊ハ三世常住醫王ノ本師ナリ故二東方二於テハ
淨瑠璃世界ノ教主薬師如来悲願ノ功徳ヲ説キ
西方二於テハ極楽世界ノ教主阿彌陀如来悲願ノ功
徳ヲ説テ衆生三世ノ病患ヲ治シタマフ實二尊キ
コトニアラズヤ諸人能此薬言ヲ信受奉行シタマヘ

洛陽因幡堂は京都市下京区にある平等寺の事。同寺に伝わる薬師如来は敏達(びたつ)天皇の子孫である橘行平が天徳3年(959、長徳3年997年説もあり)村上天皇の命で因幡国一宮に下向した際に病となり、夢に現れた異形の僧の進言により賀留津の海中から探し当てた尊像と伝えられます。行平は喜びこれを祀る為に草庵を建立し、熱心にお参りしたところ見事に病が癒え、無事に京に帰ることが出来たのだとか。
その後長保3年(1003)、雲居禅師が本作品に記す通り、薬師如来像は因幡国から京の行平の邸宅へと飛来し、行平はこの薬師如来を祀る為に堂宇を建立しました。この因縁が因幡堂平等寺の始まりとされます。
雲居禅師はこの仏像が釈迦如来自らの手により彫刻されたものであり、釈尊は過去、現在、未来にわたる医王の本師であって、東方の瑠璃光世界においては薬師如来が十二の衆生済度の願いを説き、西方浄土では阿弥陀如来が衆生に過去現在未来にわたる人々の病苦を癒してくれるとその功徳を説いています。そしてその薬言(やくげん=戒めの言葉)を信じ実践せよと勧めているのです。
署名はありませんが、書体と内容から雲居禅師の真筆と判断致しました。
本紙 縦28.7㎝ 横25.5㎝

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