雲居希膺禅師「六祖大鑑禅師曰 自性平等衆生是佛云々」
六祖大鑑禅師曰
自性平等衆生是佛
自心邪険佛是
須信迷時三界城
莫疑悟後十方空
天堂地獄非他土
都在人心善悪中
花園寓松島瑞龍室内
希膺(花押)
六祖大鑑禅師曰く
自性平等、衆生は是れ佛
自心邪険なれば佛は是…
須らく信ずべし、迷う時は三界城、
疑うこと莫れ、悟りて後は十方空なり、
天堂、地獄、他土に非ず
都(すべ)て人心の善悪中に在り
花園寓松島瑞龍室内
希膺(花押)
六祖大鑑は達磨大師から数えて六番目の祖師である慧能のこと。
「自性平等衆生是佛自心邪険佛是」は『六祖大師法寶壇經』(付囑第十)からの引用で「自性平等衆生是佛、自性邪險佛是衆生」と続く。本作、本来は「是」の後に「衆生」が入る筈であるが書き損じたのか筆を文字の途中で止めている。
この六祖の言葉に対し雲居禅師の境涯から著語されたのが「須信迷時三界城 莫疑悟後十方空 天堂地獄非他土 都在人心善悪中」という偈頌(宗教的な詩)。
これは雲居和尚年譜(大亀本)、寛永14年の項に記録される雄島における冥徒(幽霊)済度の際に、冥徒に唱えられた偈頌として知られる。雲居禅師はこの偈頌がお気に入りと見えて多少の文字の相違があるものの数点の類似自筆資料が伝えられている。
署名の瑞龍室内とは雲居禅師が悟渓宗頓禅師の塔所である岐阜瑞龍寺で書したとの意。雲居禅師が請われて同寺復興の為に岐阜に赴き同地に滞在したのは正保元年4月16日から7月15日迄で禅師63歳。気力体力ともに充実した時代である。ちなみに妙心寺派には大まかに4つの法の流れがあり、瑞巌寺は悟渓禅師を祖とする東海派に属す。遠く岐阜の寺院が雲居禅師を頼りとしたのは、雲居禅師が東海派の重鎮であったからに他ならない。