雲居希膺禅師着賛 「達磨画賛」
雲居希膺禅師(1582~1659)瑞巌寺中興開山
梁武夜途失北斗
神光霧海得南針
飄然一葦渡江後
無限平人被陸沈
(訓読)梁武は夜途に北斗を失い 神光は霧海に南針を得る 飄然として一葦にて江を渡りて後 限り無き平人陸沈せらる
雲居希膺禅師(1582~659)は瑞巌寺中興開山。一句目は佛教を深く奉じていた梁の武帝が、真の観音菩薩たる達磨大師に会いながら佛縁を結ぶことが出来なかったことを、闇夜の航海に北斗星を見失ったことにたとえる。二句目は慧可(神光は幼名)が達磨に会い安心を得たことを霧の海に羅針盤を得たと表現している。転句は達磨大師が一本の葦で揚子江を渡ったという逸話にふれ、結句の「限り無き平人陸沈せらる」碧巌録93「前箭は猶お軽く、後箭は深し。 誰か云う、黄葉は是れ黄金と。曹渓の波浪如し相似たらば、限り無きの平人、陸沈せらる。」からの引用。型通りの流儀で禅を修すと、無数の修行者が生きながら死ぬ事になるとの意。達磨画は印章が薄く判読出来ず。