雲居希膺禅師「雲門禅師示衆」
挙(こ)す。雲門、拄杖を以て衆に示して云く、
[点化は時に臨むに在り。殺人刀活人剣(せつじんとうかつにんけん)、你が眼睛を換却し了われり]
拄杖子、化して龍と為り、
[何ぞ周遮(しゅうしゃ)することを用いん。化することを用いて什麼(なに)か作(せ)ん。]
乾坤を呑却し了われり。
[天下の衲僧、性命存せず。還って咽喉を碍着するや。闍黎(じゃり)什麼(いずれ)の処に向かって安身立命せん。]
山河(せんが)大地、甚(いずれ)の処より得來る。
[十方壁落無く、四面又た門無し。東西南北四維上下、這个(しゃこ)を争奈何(いかん)せん。]
頌に曰く
拄杖子、乾坤を呑む。徒らに説く、桃花の浪に奔(はし)ると
尾を燒く者も雲を拏(ひこつら)い霧を攫むに在らず
腮(あぎと)を曝す者も何ぞ必ずしも膽(たん)を喪し魂(こん)を亡ぜん
把不住子
『碧巌集(録)』60則雲門拄杖子為龍の本則と頌の一部を書写した内容。ほぼ原典のままで雲居禅師のオリジナルの書き込みはありません。
碧巌集は北宋の禅僧である雪竇重顕(せっちょう じゅうけん980〜1052年)禅師が『景徳傳燈録』などに記される、過去の禅僧による100の禅問答に自らの境涯から偈頌(宗教詩)を付した雪竇頌古に、圜悟克勤(1063〜1135年)禅師が垂示、評唱、著語を付けた公案(禅問答)集です。現在でも臨済宗系の専門道場では提唱と呼ばれる老師の講義に使用されたり、老師と密室で行う禅問答でも用いられたりしています。
本作で比較的大きな文字で書かれているのが雪竇頌古の部分、小さな文字の箇所が圜悟による下語(あぎょ=圜悟による元々の問答や雪竇の頌に対するコメント)です。
こちらの問答の主役は唐代の禅僧である雲門文偃禅師。雲門禅師は拄杖と呼ばれる杖を弟子達に示し「この杖が龍となり、大宇宙をひと呑みにしてしまったぞ!山も河も何処からも得たら良いのか?」と言い放ったというのが、おおもととなる問答部分。臨済宗の道場ではこのような問題を老師から頂き、これが何ものかを熟考しながら坐禅、いや日常のすべての時間を過ごします。
下語というのは、「挙(こ)す。雲門、拄杖を以て衆に示して云く」という言葉に対し、「点化は時に臨むに在り。殺人刀活人剣(せつじんとうかつにんけん)、你が眼睛を換却し了われり」というコメントが付けられている部分。例えば「拄杖」という語句に対しては、「殺人刀活人剣」即ち「この拄杖には人を殺す力もあり、人を活かす力もある」と語が着けられているが如くです。
雲居禅師が何故このような墨蹟を書かれたかは不明。把不住子という署名は比較的珍しく、全体的な書体と内容から瑞巌寺入寺以前か入寺間もない頃の作品かと思われます。
紙本、縦32.5cm横44cm 瑞巌寺126世盤龍禅礎老師によって箱書されています。