太陽東潮和尚 二行書「馬上青年過云々」
馬上青年過 世平白髪多 残躯天所許 不楽又如何
太陽東潮和尚は瑞巖寺122世。別号は北山。俗姓は真壁を名乗る。瑞巖寺開山法身禅師の俗名である真壁平四郎に因んだものであろう。霊桃寺、陽徳院の住職を経て、明治4年廃仏毀釈や藩の外護を失い疲弊した瑞巖寺に入寺し、復興に尽力する。明治9年東北巡幸をされた明治天皇を瑞巖寺に迎え、内帑金千円を賜る。廃仏毀釈により多くの由緒寺院が壊滅的な損害を被る中、瑞巖寺が主要な伽藍を維持し今日の興隆を見るのは、ひとえに太陽和尚の功績によるものである。作品は「馬上青年過 世平白髪多 残躯天所許 不楽又如何」と記される。これは藩祖伊達政宗公晩年の詩を写したものである