方丈佛寝室之額
名品々承候
一、方丈佛、入口之額、菴羅園
可然存候、三玄門者玄関之
額可然哉と存候、玄要関成共
三玄門成共玄関へ可被用候
一、寝室、聯燈、摩訶、二つ共に
用申度候、方丈を聯燈と被成
寝室を摩訶室と仕度候
以上
正月十五日 綱村拝
追啓 菴羅園摩訶室ハ可被染筆候
聯燈ハ開山之取意□可然候、玄関之
額ハ老和尚可然候、以上
(封書ウラ)
大年老和尚 左中将
四代藩主で仙台大年寺の開基である伊達綱村公が大年寺住職に向けて、諸堂に掛ける扁額の内容と揮毫者について指示を与えた書状です。
菴羅園とは釈尊に帰依した菴没羅(アンバパリー)女が所有するマンゴー園を意味する菴没羅園の省略で奈園(なおん)とも呼ばれます。菴羅園は釈尊の最晩年に菴没羅女により釈尊に寄進され、後に祇園精舎、竹林精舎、霊鷲精舎などと共に天竺五大精舎の一つにも数えられます。
現存する大年寺扁額は東桑法窟(鼓山)、覚皇寳殿(吉村)、選佛場(木庵)、祝國(鉄牛)、無所住(綱村)、方丈(吉村)、萬善堂(鉄牛)、両足山(徳子)、大年禅寺(村子)、摩竭堂(鳳山)など。この中の摩竭はお釈迦様が布教活動を始めた最初期の帰依者ビンビサーラ王が治めたマガダ国であり、多くの扁額の中に「菴羅園」「摩訶」「摩竭」などサンスクリット語由来の語句が選ばれているのが興味深いところです。
この文中の開山とは鉄牛和尚、ここでの大年老和尚は鳳山禅師かと思われます。
何にしても綱村公の大年寺開創に関する大きな情熱を感じる資料です。