東菴宗暾禅師(1515〜1591)は妙心寺49世。8歳のとき瀬戸定光寺で得度。後に妙心寺霊雲院大休禅師のもとで修行、天文14年(1545)大休よりその境涯を認められて法を嗣ぎます。藤枝長慶寺、前述の定光寺を経て、永禄9年(1566)妙心寺に出世。元亀2年(1571)妙心寺に再住、天正5〜6年妙心寺に三度目の出世、さらに天正19年4度目の出世を為し、妙心四住となります。
また天正3年(1575)には津川(斯波)義近の帰依を受けて妙心寺山内に衡陽院を開創。弟子の密宗は明智光秀の叔父で光秀の供養の為に明智風呂を建立しています。衡陽院は密宗の時代に大嶺院と改称、さらに明治維新後に大龍院が大嶺院の寺域に移動、大龍院と大嶺院は合併して現在は大龍院を名乗っています。
本紙 縦62.8cm横28.8cm
祖意在西乾
浮生行亦禅
會麼回首看
一葦渡江船
前正法山比丘宗暾賛