去三日、
若君様御本丸江
被為成、四日
公方様西之御丸江
被為成候段、承知、
飛脚為相登候、
乍序、
御両親様御機嫌
奉伺之候、御様子
可被申聞候、我等儀
無事、昨日、諸出家
年頭之礼請、今日者、
鷹狩ニ罷出候、昨宵
雨ニ候処、夜半より
以之外之雪ニ候、又
小雨降候故、見合、
鷹野ニ可罷出候と
存事ニ候、追付罷出
之儀、難計候条、
書状不差上、貴方へ
申入候間、以序
被申上可給候、恐々
謹言
(天和二年)
正月十四日(綱村花押)
伊達大蔵殿
四代仙台藩主伊達綱村公の自筆書状です。宛名は伊達大蔵。伊達大蔵は伊達村直公のことで伊達綱宗公の四男で綱村公の弟。登米伊達家五代当主。
手紙の冒頭、江戸にいて将軍家の動向を伝えてくれた大蔵に謝意を表し、次に両親の様子を尋ねています。文書の中頃からは国許にいる自分自身の近況として、昨日(一月十三日)伊達領内で扶持を与えている寺院住職の年頭の挨拶を受けたこと、今日は鷹狩りに出ようとしているが天候不順で躊躇していることなどが伝えられています。
治家記録によると肯山公はこの後、天候不順の中、鷹狩りを強行したようで仙台城から苦竹付近まで来たときに雪が酷くなり、引き返したと記録されます。
天和二年の公方様は五代将軍綱吉公、若君は天和三年満四歳で夭折する徳松公。