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東園寺所蔵書画

龍渓性潜禅師 「関山号頌」

龍渓性潜の書

鎖断路頭難透
處寒雲長帯翠巒
峯韶陽一字蔵機
去正眼看来隔萬
重 龍峯山宗峰妙超
為慧玄蔵主書
野衲宗潜謹誌

(路頭を鎖断して透り難き處 寒雲長く帯ぶ翠巒峯 韶陽の一字機を蔵し去る正眼に看来れば萬重を隔つ 龍峯山宗峰妙超 慧玄蔵主の為に書す 野衲宗潜謹んで誌す)

龍渓性潜(りょうけい しょうせん)
(1602-1670)


現在でも臨済宗僧侶は一定の法階(僧侶の階級)に達すると、各本山の教えの流れを受け継ぐ式を行い、出家当初の名前の他にもう一つ、二文字よりなる名前を持つことになる。これが道号と呼ばれるもので、古くは道号に対し、その道号を付けるにあたっての背景を偈頌(げじゅ―僧侶が作成した宗教上の漢詩)で表現し、師匠から弟子へと送られた。関山号とは大徳寺開山宗峰妙超禅師が妙心寺開山関山慧玄禅師(無相大師)に与えた道号および偈頌である。(もっとも関山禅師が大徳寺で上記のような式を挙げたかは別として...)因みに関山号は妙心寺所蔵で国宝に指定されている。

本作品はこの関山号の偈頌の部分を、明僧である隠元禅師の本邦滞留と萬福寺開創に尽力した龍溪性潜禅師が写したもの。この墨蹟は宗潜という署名から妙心寺派に属していた頃のものであることが理解できる。インターネットのオークションで落札したものであるから真贋は定かではないが、後述を読んでいただければ龍渓が関山号の頌を記したというこの作品、珍品中の珍品と言えるものであることがご理解頂けるであろう。

龍溪禅師は京都生まれ、幼年より体が病弱で5歳の時に大病を患ったが托鉢僧の灸によって蘇生し、仏縁を得て始め東寺に学び、摂津普門寺籌室玄勝の徒弟となった。籌室が寂した後は、龍安寺の伯浦慧稜の徒弟となる。(※)伯浦和尚は紫衣事件の際に親幕派として行動した人で、伯浦が幕府に春日の局の参禅の師であった単伝ならびに東源が、幕府の施策に対し異議を唱えた妙心寺の主唱者であることを告げた事もあり、単伝と東源が謫流の身となった。(大徳寺派では沢庵禅師が謫流となる。)伯浦は幕府より信任を得て妙心寺の運営を任せられる。また急逝した金地院の崇伝にかわり、僧録心得となるが、伯浦もまた上洛の途中、江州にて遷化するのである。当然、妙心寺側にとって伯浦の行為は許し難いものがあり、伯浦の十三回忌以降、一山は伯浦の住職した龍安寺に出頭を見合わせた。このことが後の伯浦の弟子龍渓と妙心寺との軋轢の伏線となったとも考えられる。

上記は妙心寺史をまとめたものですが、崇伝禅師は寛文5年の伯浦和尚遷化の後、寛永10年に遷化されており、諸々の問題を抱えた記述であります。ここに注釈を記しつつ上記の文書をそのまま残すのは、妙心寺史の記述に誤りがあることを明らかに致したいと考えたからです。伯浦和尚については手元に資料が無く、如何なる禅僧であったかは詳らかではありません。しかし、察するに妙心寺派の危機を防がんとして行動されていた方であることに相違ありません。妙心寺派は常に政治とのバランスを取るかのように、硬軟相混ぜて為政者によってもたらされた難局を乗り越えて来ていますが、その一方、時局に応じて誰かに汚名を着せて体制を守るという姿勢が少なからずあります。平和にして自由な研究が出来るようになった今、伯浦和尚や龍渓禅師等の正法護持に対する功績というものを再検討すべきではないでしょうか。

さて龍渓禅師は、この後に普門寺の住職になり、大本山妙心寺、龍安寺などに住持し、後水尾天皇の帰依をうけ、妙心寺に二度住持し朝廷から紫衣を下賜された。龍渓は鎌倉時代の祖師方のように中国で学ぶことを念願していたが、鎖国の為に果たせずにいたところ、隠元禅師の語録を手にする機会を得て、ひそかに隠元禅師に尊崇の念を抱いていたようである。龍渓が妙心再住を果たした承応三年隠元禅師が長崎に渡来すると、提宗、千山、禿翁、竺印といった僧と共に隠元を妙心寺に迎えようとした。これが退けられ開山三百年遠諱に際し他派への参禅が咎められると、龍渓、提宗とその弟子以外は妙心寺に帰属した。これにより妙心寺と龍渓の間で争議が起こった。この争議の記録が妙心寺史で紹介されているが、どうも体制を維持せんとする妙心寺の主張よりも、修行のあり方という本分より議論を展開している龍渓と提宗の主張のほうが理に適っているとも受け取ることが出来る。龍渓は後水尾天皇に法を授けるなど黄檗門の興隆の為に尽力するが、寛文十年八月二十三日摂津西成の九島院にて暴風雨と高潮による木津川及び安治川の氾濫により溺死する。九島院住職らは避難を促したが、龍渓は坐して動ぜず遺偈を記し水中の人となったようである。いやな言葉だが世間ではこの波のことを「関山波」と呼んだという。妙心寺開山関山禅師の怒りに触れたのだと言うのだが...関山禅師の意は如何?
という訳で真贋如何に関わらず、この作品が珍品中の珍品であることがご理解頂けただろうか?

参考文献―妙心寺史(川上孤山著)初期黄檗派の僧たち(木村得玄著)

 
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